中毒性日記

子供の頃エビカツサンドが食べれなくて泣いてしまった男のブログ

インターネット上でウンチを漏らしてしまう人々への傾向と対策

インターネットを跋扈するウンチたち

江戸時代まで、人々は馬糞や牛糞のみならず、人糞つまりウンチを捨てずに畑の肥料とすることで最大活用する"超循環型社会"であった。その後、明治維新を経て欧米化の一途を辿った日本では、これら超循環型社会の構造は文字通りウンチとともに捨てられたかに思われた。
しかし昨今、インターネットでウンチが再度循環し始めているという話を聞いたら、あなたはどう思うだろうか?

耳を疑うような話だが、これは紛れもない事実なのである。

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脱糞とSNSの親和性について

インターネット上で特にウンチが観測されるのが「Twitter」である。Twitterは短い文章をつぶやきという形で気軽に投稿できるSNSだが、それ故に『脱糞してもいいのでは』という錯覚を起こす危険性を存分に孕んでいる。

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閉鎖的な脱糞コミュニティ 

しかしながら、脱糞報告を受けた他ユーザーがそれを良しとしている状況も異常なのであるが、これが「正常性バイアス」の恐ろしいところだ。正常性バイアスとは、あり得ない状況に直面した時にパニックを避けるために脳が"心の平穏"を求める防衛本能のひとつである。これにより、タイムライン上で「ウンチ」という危険ワードを繰り返し目にすることで、いつしかそれが普通のことのように脳を麻痺させていく。

また、Twitterのタイムラインは比較的あっという間に流れていくため、その光景がまるで「ウンチが水に流れていく」ような錯覚を見せており、ウンチに対する「正常性バイアス」がまたたく間に日本人を襲うのである。

人々を駆り立てるウンチの魅力

なぜ人は本来必要のないはずの脱糞報告をインターネットの海に投げてしまうのか。いつの間にか夏も終わり、刺すような晩秋の冷風が彼らをそうさせるのもあるが、無論それだけにとどまらない。Twitterで繋がっている不特定多数の他人に対して『今ぼきは脱糞をしているンゴ』という背徳感が、いつしか"人に見られたい"、"見せたい"という欲求に変わっていく心的要因が大きい。

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魅せたがり屋の脱糞マイスター

生きることは食べることであり、食べると必ずウンチが出る。古来よりウンチは私たちの生活と切っても切り離せないプライマリな存在であり続けてきた。しかしそれは使い方を間違えれば人の道を外れてしまうことになる。ネットの海を漂い続けるウンチ...その止めどない奔流が人々の心を誘惑していく。

インターネットとウンチを正しく扱えない人間がこれからの日本を生きることは難しいだろう。